2014年1月28日火曜日

第八幕 砂漠でサーモン・フィッシング 

「砂漠でサーモン・フィッシング」は2011年のイギリス映画。ラッセ・ハルストレム監督、ユアン・マクレガー主演。原作はイギリスのベストセラー小説「イエメンで鮭釣りを」。

「砂漠に大量の鮭を移植させる」というコメディ映画です。

「砂漠でサーモン・フィッシング」の画像1

主人公の水産学者ジョーンズ博士は真面目な研究者。
彼のもとに、「砂漠で鮭釣りがしたい」という調査依頼が舞い込みます。依頼主はイエメンの富豪でした。
 
当然ながら、砂漠の国イエメンは鮭の生息に適しません。そこでアイディアの一つとして浮上したのが、大量の鮭を生きたまま砂漠に輸送するというもの。

ジョーンズ博士はこのプロジェクトを辞退しようとします。ところが、そこに圧力をかけてきたのが英国政府。
アメリカとともに派兵していたアフガン政策に対して、国民から批判が起きていました。この壮大な計画を実現させることで、批判をかわそうという思惑があったのです。

ジョーンズ博士は、この計画に踏みとどまります。
彼を翻意させたのは、ひとつには依頼主であるイエメンの豪族ムハンマドが人間的な魅力に満ちていたためです。彼は英国仕込みの高い教育と理想、そして勇気を兼ね備えていました。鮭の移植は道楽のためだけでなく、砂漠に灌漑施設を整備する計画も持ち合わせていたのです。その理想のために、地元民の反感を招くことになります。ついには命を狙われることにもなりますが、けしてひるみません。

そしてなにより、彼の心境に変化をもたらしたのは、ヒロインのハリエット(エミリー・ブラント)の存在。
この計画をジョーンズ博士のもとに持ち込んだ投資コンサルタントです。彼女には恋人がいました。彼は軍務でアフガンに派遣されたものの、事故で行方不明に。失意のどん底にあるハリエットを慰めようとするうち、恋心が芽生えてきます。ジョーンズ博士自身も、生活の行き違いから妻に逃げられたばかりだったのです。

傷心のジョーンズ博士とハリエットは、鮭の移植と灌漑施設整備の仕事に情熱を燃やし始めます。
苦難を乗り越えて灌漑施設が完成するという段になって、二人のもとにニュースが飛び込みます。アフガンで不明になったハリエットの恋人が無事だったことがわかったのです。
英国政府は、感動の生還劇をしたたかに演出しようとします。灌漑施設の完成とあわせて、ハリエットとの再会を大々的に報道させようと図るのです。

一方のジョーンズ博士にとっては、恋人を失いかねない最悪のニュースです。
ところが、灌漑施設完成の陰で、とんでもない陰謀が忍び寄ってきていました。鮭と巨大灌漑施設。砂漠に異質な西洋文明を持ち込んだことで、地元民はテロを決行します。
完成したダムは爆破され、イギリスから大量に持ち込んだ鮭はほとんどが死に絶えてしまったのです。

これまでの努力はすべて水の泡となってしまいました。
それでも理想家のムハンマドは立ち上がります。ジョーンズ博士も、砂漠に灌漑施設が完成させるまでイエメンにとどまり続けることを決意します。そして、ハリエットも。ハッピーエンド。めでたし、めでたし。


文明国のイギリスと未開の砂漠という対比は、ご都合主義のような気もしないではありません。
砂漠の国に鮭がもたらされることで起こる反応も、「文明の衝突」さながら。一方で、現地人がテロに走らざるを得ないという結末には、驕りと短絡さが見え隠れしているような。
それでも、テロやアフガン戦争といったグローバルな要素も上手に絡めたコメディに仕上がっています。

2014年1月18日土曜日

第七幕 華麗なるギャツビー 

昨年6月の日本公開開始から3日間で15万人を動員した「華麗なるギャツビー」。
原作はいわすと知れたフィッツジェラルドの同名小説。近年では村上春樹の新訳も刊行されました。

ヒットの要因は、主役にディカプリオををすえたことに尽きると思います。みもふたもない言い方ですが。ロマンスに登場したのも「タイタニック」以来だったとか。やはりシリアスな役よりもナンパでハンサムで、どこか影がある役のほうがしっくりきます。
http://movies.yahoo.co.jp/interview/201306/interview_20130613001.html

本作品の中心となる舞台はギャツビー家で延々と繰り広げられるパーティなのですが、演出は「派手すぎる」という批評もあったほどきらびやか。ディカプリオ演じるギャツビーは、それにひけをとらない華やかさがあります。作品世界の本当の住人のようです。

レオ様主演『華麗なるギャツビー』が初登場1位!ゴージャス世界が女性客に大ウケ!


ディカプリオのみならず、周囲を固める配役もうまくはまっています。

ヒロインのデイジー役はキャリー・マリガン。
知的で落ち着いた感じの美人ですが、華やかさはありません。
一方のデイジーは裕福な家のお嬢さん。出身階級や家族を捨ててまで恋をまっとうするつもりはありません。どちらかというと他者に運命をゆだねるタイプ。

このデイジー役、ほかの役者をくってしまうほどの魅力と存在感があると物語が成立しません。
こんな「つまらない女」にほれ抜いて、そして彼女を振り向かせるためだけに夜な夜な豪華なパーティーを催す-。そんなギャツビーの特異さを描き出すために、デイジーはきれいだが退屈な良家のお嬢さんである必要があるのです。
キャリー・マリガンはそんな特徴のないヒロインを、きらびやかな作品世界に埋没させることもなく、うまく演じています。

そしてギャツビーの友人であり、物語の語り手であるニック役(トビー・マグワイア)も好演でした。
ニックはニューヨーク郊外の高級住宅地に引っ越したことから、隣人となったギャツビーとの交友が始まります。証券会社に勤める独身の29歳。原作の発表から90年近くたつというのに、現代のテレビドラマにも出てきそうなほど古びることのない設定です(戦争に従軍したという点を除いては)。

トビー・マグワイアもさわやかなハンサムではあるが、とびきりの美男というわけでもありません。その存在が、ギャツビーやデイジーといったあくが強く、一般的な金銭感覚とはかけ離れた登場人物たちをうまく中和。そして最後までギャツビーとの友情を貫きます(私生活でもディカプリオと親しいのだとか)。

それだけ見る側にとっても感情移入しやすい役どころ。
もしかしたら自分もニックのように大金持ちとお近づきに慣れるのではないか。裕福ではなくても困った友人を助けることができるのではないか。そんな夢も抱かせます。
トビー・マグワイアは、そんなどこにでもいそうな好青年ニックのイメージにぴったりでした。

主人公のギャツビー役はともかく、いわば特徴がないことが特徴のデイジーとニックというメインキャストにはまり役を得たこと。ただもすると「演出が派手なだけ」の作品に終わる可能性もあった本作品を引き締める結果になりました。








2014年1月7日火曜日

第六幕 最強のふたり 

「最強のふたり」は2011年公開のフランス映画。エリック・トレビノ、オリビエ・ナカシュ監督。
日本でも興行収入16億円と、フランス映画では異例のヒットとなりました。

主人公は富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)と、貧困層出身の黒人青年ドリス(オマール・シー)。フランスは日本以上の格差社会。出身階層によって居住環境から教育まで、なにもかもが異なるといわれています。

フィリップは有り余るほどのお金持ちですが、幸せとはいえません。事故によって頚椎損傷の重傷を負い、体の自由がまったくきかないのです。
一方のドリスも、幼い兄弟がいるというのに、定職にもありつくことができません。そして実の親さえ知らないのです。恵まれない境遇への苛立ちから、すぐに非行に走ってしまいます。

まったく住む世界の違う二人が出会ったのは、フィリップが介護者を募集したから。
フィリップに採用された介護人は、彼の気難しさを嫌って、すぐに去っていくのが常でした。運よく採用されたドリスですが、最初のうちは真面目に働こうとしません。彼が仕事につこうとしたのも、保護観察の一環だったのです。底抜けに陽気で、体力はあるものの、介護のイロハすら知りません。

二人の関係は月とスッポン。
これまでの介護人と同じように、いつ解雇されても不思議はありません。
ところが、そうはなりませんでした。

明るさだけがとりえのドリスは、フィリップの孤独に気づいたのです。
近寄ってくるのは、彼の財産目当ての人間ばかり。妻を亡くして、家族は年頃の娘だけ。
一方のフィリップも、ドリスのおかれた複雑な家庭環境を知ることになります。

「最強のふたり」の画像1

富はあるものの体の自由がきかないフィリップ。
体は頑丈でも富のないドリス。

教養はあっても、あるべき姿を求めて行動に自己規制をかけるフィリップ。
教育はなくとも本能のままに生きるドリス。

金目当ての取り巻きのせいで警戒心を深めるフィリップ。
財産になんて目もくれないドリス。

二人は互い欠落を埋めるように、雇用者と被雇用者という関係を超えて交友を深めます。
とはいえ、二人の友情は清らかなばかりではありません。ドリスはフィリップに、快楽の扉を押し広げます。夜遊び。ドラッグ。そして性欲。

フィリップは文通相手との交際に踏み切れないでいました。
亡き妻への思い。そして体の不自由な自分が受け入れられるのかという不安。
富と教養があるゆえ、恋する人にまで壁を築いてしまうのです。

ドリスにはそんな生き方は理解できません。
そして親友フィリップの壁を取り払ってやりたいと願います。そしてラスト。フィリップと文通相手が顔を合わせる段取りをすべて整えて、介護人としての役割を終えます。

これが映画のお話ではなく、実話であることが驚き。
冒頭、二人の乗ったスポーツカーが真夜中のパリを疾走するシーンが印象的。
障害をめぐる映画であっても、説教くさいところがなく、スピーディーに物語が展開していきます。