2014年9月30日火曜日

第二十三幕 ハンナ・アーレント

「ハンナ・アーレント」は2012年の伝記映画。ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作。
マルガレーテ・フォントロッタ監督、バルバラ・スコヴァ主演。

主人公のアーレント(1906-1975年)はドイツ系ユダヤ人の政治思想家、哲学者。
第二次大戦中、ナチスの迫害を身をもって体験。夫のハインリヒ(アクセル・ミルベルク)とともに、ドイツからフランス、そしてアメリカへと亡命しました。その後はアメリカのシカゴ大学で教鞭をとるなどし、暴力や全体主義に関する著作を数多く残しています。

この映画では、アメリカの雑誌ニューヨーカーに、彼女が「イェルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を寄稿した時期に焦点があてられています。

このアイヒマンとは、いかなる人物か。

アイヒマンはナチスドイツの元役人でした。
幾人ものユダヤ人を強制収容所へ送ったアイヒマンは、第二次大戦後、名前を偽り、アルゼンチンに潜伏。ところが、イスラエルの特殊機関モサドは彼ら戦争犯罪者の行方を追っていました。他国ではありながら、モサドは彼を拘束し、イスラエルの首都イェルサレムに移送。そして裁判にかけられることになりました。

アーレントは、アイヒマン裁判の傍聴記の寄稿を自ら売り込みます。
寄稿先は米国の雑誌「ニューヨーカー」でした。
被告のアイヒマンは、自らと自らの家族、同胞を不幸の淵に追い込んだ人物です。
アイヒマンがいかなる大悪党であったか。法廷で申し開きをするのか、あるいは罪を認めるのか。

ユダヤ人と全人類にとって世紀の裁判となるはずでした。



ところが、法廷のアイヒマンを目の前にして、アーレントは先入観を捨てざるをえませんでした。
アイヒマンは大悪党などではなかったのです。

彼は法廷で繰り返し主張します。
自分はナチスドイツの法と、役人としての職務に従っただけだと。「悪法も法なり」。彼は自分が法律や上司からの命令の善悪を判断できる立場にはなかった、というのです。

イスラエルの人々は、その弁明を真に受けません。
むしろ、アイヒマンは血も涙もない極悪人でなければならなかったのです。無数の同胞の命を奪ったのが、ただの小役人であってはならなかったのです。

また、アイヒマンは国家統合の象徴ともなる存在でもありえたのではないか。
中東の地に突如として誕生したイスラエルは、周囲を敵に囲まれ、争いを繰り返してきました。
いわば彼は、イスラエルとユダヤ民族の正当性を証明する生け贄、ともいえないでしょうか。

こうしてアイヒマンの裁判は、一種の政治ショーと化します。
罪状とは直接関係のない証人が次々と現れては、法廷でなじり、嘆くのです。

しかし、アーレントは演出やまやかしをすぐに見破ってしまいます。
アイヒマンは大悪党などではなく、上役からの命令を実行したに過ぎない。
子供がいじめを見てみぬふりをしたり、断れずに加担したりするように。

第二次大戦という特殊な状況ではなくとも、今後、第二、第三のアイヒマンが現れないなどと誰が言い切ることができるでしょうか。
アーレントはこのようなアイヒマン裁判の真実を、ニューヨーカー誌で指摘したのです。

これだけでも論争の種となるには十分すぎます。ところが、彼女の筆はとどまることを知りません。

彼女はユダヤ民族のタブーともいうべき問題にまで踏み込みます。
それは次のような問いです。
ユダヤ人の大量虐殺を可能にしたのは、民族内部に協力者がいたからではなかったか。

アーレントの論文に対して、ユダヤ人ばかりかアメリカの読者からも非難轟々。
しかしアーレントは、けして自説を曲げません。
ユダヤ人としてのアイデンティティよりも、思想家としての良心に従ったのです。

写真

非常によくできた伝記映画です。

しかしながら、いまひとつ腑に落ちない点も残りました。

ひとつは恩師であり不倫関係にあったとされるドイツの哲学者ハイデガーとのかかわり。
ハイデガーは、ナチスに協力的であったことで知られています。彼とアーレントの仲は戦争によって引き裂かれてしまいますが、大戦後も関係が続いていた、ともいわれています。
はたして彼の存在は「イスラエルのアイヒマン」執筆に影響を与えたのか。

もう一点は、ユダヤ民族にナチス協力者がいたというアーレントの指摘の根拠。
これは彼女の実体験に基づくものなのか。あるいは推論に過ぎないのか。

これらの点について、はっきり描かれることなく映画は結末を迎えます。
ドイツでは既知のことだからでしょうか。
それらは、映画を鑑賞する人それぞれの判断にゆだねられているのかもしれません。
「思考とは何か」ということを、作品上でハイデガーがアーレントに諭すように、。






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